2015年09月04日

四天王寺での「本木祭」のもよう

四天王寺での「本木祭」のもよう

大阪印刷関連団体協議会主催のもとで金属活字の始祖、本木昌造先生(1824~75)の遺徳を偲ぶ法要が命日にあたる9月3日小雨の降る中、大阪市天王寺区の四天王寺境内にある記念碑前において「本木祭」が営まれ本木昌造先生の曾孫にあたる森賢治夫妻と大阪活版所の初代社長谷口黙次氏の曾孫である谷口晴彦氏を迎え、さらに印刷関連から40人余りが本木昌造先生の遺徳を偲んだ。

 

祭は、和宗総本山四天王寺、南谷恵敬法務部長を導師に四天王寺の4人の高僧のもとで執り行われた。

 

祭文奉納で吉田忠次大阪印刷関連団体協議会会長が「ここ四天王寺境内の本木昌造先生の銅像の前に、印刷及び印刷関連業界の有志が集い、本木先生の偉業を偲びたいと思う。毎年9月は、一般社団法人日本印刷産業連合会が傘下の印刷関連10団体と共に、全国的に印刷産業の重要性を業界内外にアピールするため、各種の行事を行っている。

大阪においても、この「印刷の月」の行事の一つとして、本木先生の命日の9月3日前後に本木祭として開催しており、平成12年に開催後から5年毎の周忌開催することにいたしましたが、今年は没後140年になり、本日、本木先生の曾孫であります森賢治様ご夫妻、本木先生の高弟(こうてい)で大阪活版所の初代社長谷口黙次(もくじ)様の曾孫である谷口晴彦様をお招きしての開催となった。

本木先生は11歳の時、母方のオランダ通詞である本木氏の家業を継ぎ、専ら西洋文化の研究に没頭し、科学、測量、製鉄など工芸百般に通じ、維新の大改革に貢献された。

25歳の時、オランダから印刷機を購入し、28歳で鋳造活字の製法を会得。37歳では長崎製鉄所(後の長崎造船所)で御用係として製鉄業、航海業を行い、44歳の時に我が国最初の鉄橋、長崎大橋の架設に続き、翌年には大阪で最初の鉄橋として高麗橋を完成させました。また明治2年、46歳で我が国最初の鋳造活字を完成させ、長崎で活版伝習所を創設。翌年には大阪活版所を開設し、その後の大阪のみならず、日本の印刷業発展の基礎をつくり、ひいては日本文化の発展に大きく貢献された。

このような中で、近代印刷発祥の地である長崎県で、本木先生の木版活字を大量に保存されていることが分かり、㈱モリサワの森澤嘉昭元会長(現相談役)の「今のうちに何とかしなければ、大切な木版活字が散逸してしまう。また当時の本木先生の活字を今の世の中で再現したい」という思いから、諏訪神社、長崎県の本木昌造顕彰会の内田信康会長ならびに印刷博物館、活字研究者等多くの関係者の協力のもとに、諏訪神社にある3千点余りの木版活字の完全保存と本木活字の製造法の再現を行い、その成果を立派な冊子にまとめられると共に、長崎、東京と並んで大阪のモリサワ本社に展示されている。

デジタル時代の今日も美しい文字、組版の心は印刷とその関連業界人の中に活かされ、フォント・デザイン・映像・コンテンツ業界へと拡がり、本木祭にあたり、銅像を前にして、改めて先生の大きな偉業を思いながら、印刷業界は情報が一番早く入る業界であり、それらを消化吸収し、魅力的な業界に変身し、高度情報化の時代に対応したい」と述べた。

 

続いて吉田会長、森賢治夫妻、谷口晴彦氏、大阪印刷関連団体協議会各団体代表、一般参列者の焼香が行われ法要を終了し、会場を移して懇親会が行なわれた。

 

次回は5年後の2020年に開かれる予定。

 

 

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