2020年09月30日

■中国語ではホームページのことを「家頁」と書いたりするらしい。日本語でも「頁」はページの意味で用いたりする。調べもしなかったが、なぜ「頁」と記してページを表すのか長年の疑問だった――

 
▽部首「頁」(おおがい)は、ひざまずいた人間の頭部を強調した形で、顔、頭、額など人の頭に関する漢字に使われている。人の頭を意味するときの頁の音読みは、ケツ。ところが、ヨウという音読みもあって「葉」と同じなのだとか。 和綴じの書物に使われている紙は「葉(ヨウ)」という単位で数える。袋綴じでは紙を2つ折りにするから紙1枚が2ページになり、それぞれのページを「第○葉」の表とか裏とかよんだ。ところが葉は画数が多いので同じ発音でもっと簡単に書ける「頁」を葉のあて字として使うようになった。

 
▽「頁(葉)」は1枚の紙という意味だっが、西洋式製本の書物が入ってきたときに、この文字でページを表すことにした。こうして「頁」にページという意味がそなわり、やがてこちらが主流になった。

 
モリサワから寄贈していただいた、漢字・漢語にまつわる逸話161編を収めた阿辻哲次著『遊遊漢字学 中国には「鰯」がない』(日経BP)の「『頁』がページになったわけ」にそんなことが載っていた。

 
■松竹梅は音読みではショウチクバイ。では、菊はなんとよむか。正解はキクで、菊には訓読みがない。もともと中国から渡来してきた植物なので、渡来前にその花をあらわすことばが日本にはなく、植物とともに伝わってきた中国語をそのまま日本語に取り入れたのだという。キクは非常に早い時期に日本でできた外来語らしい。

 

▽菊はかつての中国医学では薬剤としての効能もあるとされていた。菊の花を詰めた枕は頭痛に効果があるとされ、乾燥させた菊の花びらをいれた菊花茶は目の神経の疲れを癒してくれるそうだ。さらには菊の花をたべると仙人になれるのだとか。

 
▽陶淵明の詩(「飲酒その五」)の有名な一節にこうあるそうだ。
菊を採る東籬の下
悠然として南山を見る
――いおりの東にある垣根のもとにうずくまって菊を摘み、ふと目をあげれば、はるか遠くにそびえたつ南山の雄大な姿が目に入ってくる。
東洋的な風雅な詩だが、ここでは花を愛でようというのではない。この菊は食用で、夕食のおかずとして庭の菊を摘んでいたのだった。「『菊』には訓読みがない」の項にはそんなことが書いてある。

 
■もう一つ。仙女の麻姑(まこ)はみたところ十八か十九の娘。髷から垂れる長い髪が腰まで届き、この世のものとも思えないあでやかな衣服を着ている。家の主人、蔡経(さいけい)が麻姑にみとれ、指の爪が鳥の足のようにするどくとがっていることに気づき「あの爪で背中のかゆいところを掻いてもらったら、さぞかし気もちいいだろうな」と考えた。
「孫の手」は「麻姑の手」からきているのだとか。

 

 

(「月刊印刷界」2020年10月号から)

 

 

 

 

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