2018年08月10日

矢野孝子館長(左)と筆者

矢野孝子館長(左)と筆者

『紙本着色南蛮人渡来図 南蛮屏風』

『紙本着色南蛮人渡来図 南蛮屏風』

薫風の五月某日、阪急中津駅(大阪市北区)のすぐ近くにある「南蛮文化館」を訪れた。
 
安土桃山時代から江戸初期にかけて花開いた南蛮文化にまつわる貴重な美術品や工芸品など約250点を収蔵した私設美術館である。1968年、北村芳郎氏(故人)によって創設された。
 
館長として後を継いだ長女の矢野孝子さんが日本経済新聞の文化欄に寄せた『南蛮文化館父娘の50年』と題した一文によれば、北村家はその昔、中津一帯に広大な土地を所有する大地主だった。芳郎氏は1920年生まれで、東京帝国大学在学中に学徒動員で満州に出征。そのさなかの1945年6月の大阪空襲で生家が潰滅し、父母も亡くなった。
 

南蛮文化館

南蛮文化館

戦後は家の再建や相続で苦労し、多くの不動産を物納した後、残った土地で駐車場経営などをしながら南蛮美術品の蒐集を始めた。大学で国史を専攻したという学問的素養と精力的な蒐集ぶりが実を結んで、ついには自宅横の土地に「南蛮文化館」を建てるに至ったという。
 
余談ながら、1925年生まれの僕も、終戦の年の2月、高松高商在学中に満州で新兵教育を受けた。

 

羽間文庫のこと◆◇

 

「中津の大地主」という芳郎氏の出自で思い出したのが、中津とは目と鼻の先にある海老江(えびえ、福島区)の羽間平安(はざま・へいあん)さんのこと。
 
僕より2歳下の羽間さんは、凸版印刷で辣腕の営業マンとして鳴らし、関西支社長、相談役を経て退職後は関西大学理事長をつとめたお方だが、江戸時代の天文学者として知られる間重富(はざま・しげとみ)の末裔でもある。
 
羽間家も地元の海老江の菜種油で財をなした江戸時代の豪農で、間重富は分家筋の裕福な質商の七代目。その重富の業績を「羽間文庫」としてまとめたのが平安さんの父君である羽間平三郎氏(1895~1972)である。
 
同文庫は近世大阪の町人学者、木村兼葭堂の日記『兼葭堂日記』を所蔵していることでも知られ、膨大な資料は平安さんの代に大阪歴史博物館に一括寄贈された。
 
南蛮文化館と羽間文庫。いずれも、江戸の昔、山片蟠桃や富永仲基など優れた町人学者を輩出した懐徳堂をつくった大阪の有力商人と同様、分限者の心意気というべきものが今に脈打っている好例といえまいか。

 

駆け出し営業マンの頃◆◇

 

悲しみのマリア像

悲しみのマリア像

黄金の十字架

黄金の十字架

十字紋螺鈿小櫃

十字紋螺鈿小櫃

南蛮人燭台

南蛮人燭台

閑話休題。
 

中津も海老江も、駆け出しの営業マンとして自転車で走り回っていた頃の僕にとっては懐かしい場所でもある。毎日のように淀川を挟んで対岸にある会社から新淀川大橋を渡って通った。当時は排水事情が悪く、雨が降ると膝まで水浸しになるので、中津に自転車を置いて、仕事をもらっていた海老江にある凸版印刷の関西工場まで歩いた。今から60年ほど前の昔話である。
 
さて、「南蛮文化」とは、「1543年に数人のポルトガル人が種子島に漂着、1639年にポルトガル人の日本渡航が禁止されるまでのおよそ1世紀の間に、宣教師や商人らがもたらした文化、またそれに影響を受けたもの」(同館ホームページより)。
 
中学や高校の日本史の教科書にも載っている重要文化財の「南蛮屏風」など、門外漢の僕にも南蛮文化の何たるかを感じさせるに十分な展示品の数々だった。
 
同館の開館時期は5月と11月の2ヶ月間。これは開設当初からの方針で、気温や湿度による展示品への悪影響を避けるためだという。次回11月の開館にはぜひ足を運ばれることをお勧めしたい。
 
文化館オブリガードや春の町
南蛮の文化館あり春風裡

 

オブリガードの国と俳句の旅◆◇

 

南蛮文化館の見学を終えて辞去する際に矢野館長さんからポルトガルワインをお土産にいただいた。
 
ワインを味わいつつ、ポルトガル語の国ブラジルとポルトガルを旅したときのことが昨日の事のようによみがえる。そのオブリガード(ポルトガル語で「ありがとう」の意)の旅の一端を紹介する。
 

★ブラジル

 
1978年に、お得意先の武田薬品からカレンダー用のフィルムをサンパウロへ届ける仕事を引き受けた。これをきっかけに計6回、ブラジルを訪れた。その頃のサンパウロの税関検査は厳しく、フィルムはいつも没収された。だが、その現場をガラス越しに見ていた貨物取扱業者が夜の間に税関の担当官と取り引き(?)して買い戻す。翌朝、お得意先のオフィスに行くと、昨日没収されたはずのフィルムが机の上に置かれていた。当時の日本の新聞に「悪名高きサンパウロ税関」という記事が載っていた。
 
また、僕の俳諧の師である深川正一郎先生に旅の報告をすると「サンパウロ在住の3人の弟子に会うように」と連絡を取っていただいた。1983年にサンパウロを訪れると僕が泊まっていたホテルに目黒白水・はるえ夫妻と星野瞳さんが訪ねて来られた。俳句の縁で海外在住の同好の士と知り合えたことは望外の喜びだった。
 
朝寒のホテルのロビー葡語日語
(サンパウロ)
カーニバルを観る総立ちの席暑し
(リオデジャネイロ)
夕立去り娼婦立ち居り街灯下
(サンパウロ)
この駅は青きバナナの畑の中
(ブラジル観光列車)
 

★ポルトガル

 

ポルトガル・ナザレ海岸の鰯干し

ポルトガル・ナザレ海岸の鰯干し


 
1998年7月、得意先である大手広告代理店の海外研修旅行で初めてポルトガルを訪れた。一番の目的はリスボンで開催されている国際博覧会の見学だった。20世紀最後の万博のテーマは「大洋、未来への遺産」。全員で長い列に並んで日本館を見学したことを思い出す。
 
紫の花の並木や丘涼し
(リスボン、紫のジャカランダが満開)
大聖堂白く眩しく街暑し
(リスボン、白亜の大聖堂)
別荘は朽ちしままなり燕飛ぶ
(ロカ岬近くの別荘地帯)
丘涼しブーゲンビリア壁にゆれ
(坂の街オビドス)
白壁の眩しき町や鰯干す
(ナザレの海岸)

 
(石川ただし=石川忠。1925年愛媛県生れ。慶大卒。富士精版印刷株式会社会長。元大阪府印刷工組理事長。虚子の高弟・深川正一郎に師事した俳句歴は長く、著書に私家版の句集『身辺清爽』三部作と紀行文集『俳句旅日記』がある。ホトトギス同人)

 

(日本印刷新聞2018年7月30日付掲載)

 
 

南蛮文化館 http://www.namban.jp/namban/

 

大阪歴史博物館 http://www.mus-his.city.osaka.jp/

 
 

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