2018年01月18日

世界で初めて原動機付のシリンダー式輪転印刷機を世に送り出した、もっとも長い歴史を持つ印刷機メーカー、それがKOENIG&BAUER社(KBA)だ。同社の創業は1817年、それから200年の時が経過した2017年は同社にとって記念すべき節目の年となる。9月にはドイツのKBA本社などで記念式典が行われ、これまで重ねてきた成功の歴史を祝福するとともに、現在の最新鋭のシステムを紹介する内覧会も開催される。その同社のルーツやこれまでの技術革新の足跡について、KBAシートフェッド社のマイケル・グリーガー副社長に話を聞いた。

 

 

グリーガー副社長

グリーガー副社長

--創業200年を迎えるKBA社の現状はいかがですか?

グリーガー 現在、印刷機メーカーとして世界第2位の売上規模を持つKBAは、おかげさまで2017年も好業績となる見通しで、収益目標を12.5億ユーロとしています。株式市場からもこの好業績が評価されており、2015年には10ユーロ弱だった株価が2017年には64ユーロまで急騰しています。

現在も1817年の創業地であるドイツ・ヴュルツブルクにグループ本社を構えて操業しています。社内での研究・開発に加えて、すぐれた技術を有する企業の買収もあわせて進めることで、KBAは技術的にも技術革新の面でも2世紀の間にわたって業界のリーダーとして君臨してきました。【200年の歴史を紹介する動画

 

--KBA社のルーツについてお聞かせ下さい。

グリーガー ケーニッヒ&バウアー社が初めて印刷機を製造したのは、創業時からさらに時を遡ります。 最初の蒸気駆動のシリンダー式新聞印刷機は、1814年に英国・ロンドンの新聞「タイムス」のために製造されました。事業を構築しようとしていた2人のドイツ人、フリードリッヒ・ケーニッヒ氏とアンドレア・バウアー氏の手によるものでした。

しかし、ケーニッヒ氏の英国のパトロンたちは、「タイムス」における印刷機の成功を商業印刷に転用することに関心を持っていなかったようです。そこで、ケーニッヒ氏とバウアー氏はドイツに戻って自分達の会社を立ち上げました。それが1817年のことで、それから200年が経ったことを我々は祝福しています。

 

フリードリッヒ・ケーニッヒ氏(左)とアンドレア・バウアー氏

フリードリッヒ・ケーニッヒ氏(左)とアンドレア・バウアー氏

--ドイツで創業した後はどのような成長を遂げたのですか?

グリーガー ケーニッヒ氏はバイエルン州ヴュルツブルクの近くにあるオーバーツェルの、元々は修道院があった場所に会社を設立しました。1818年、「タイムス」の印刷機に改良を加えた後、この会社にバウアー氏が加わります。操業開始までにしばらくの時間を要しましたが、1822年に最初のケーニッヒ&バウアー社製の印刷機をベルリンに出荷。そして翌年の1月25日、その納入先であるハウド・アンド・スペンサース新聞は、シリンダー式輪転印刷機で印刷されたドイツで最初の新聞となりました。

ケーニッヒ氏は1833年にこの世を去りましたが、それまでにケーニッヒ&バウアー社は立派な会社へと成長し、ケーニッヒ氏の息子であるヴィルヘルム氏とフリードリッヒ氏が事業を続けました。バウアー氏は1860年にこの世を去りました。

フリードリッヒ氏は、1875年に巻取紙凸版輪転印刷機の開発を見届け、翌年マクデブルク・ツァイトゥング氏に売却しました。その後15年にわたりこのコンセプトは改良され、マルチページフォーマットかつツインタワーのユニットになりました。1882年には、シート給紙の凸版輪転印刷機を製造しました。1890年にこの印刷機はツインユニットに拡張されます。その後も1950年代と1960年代に凸版輪転印刷機を改良しています。

 

--オフセット印刷機を提供するようになったのはいつ頃からですか?

グリーガー 1960年代までには、オフセット(平版)印刷が凸版輪転機を凌ぐであろうことは明らかになっていましたが、1967年に画期的なことが起きました。最初の枚葉オフセット印刷機Rapida 0の始動です。1974年にはRapida SRⅢが毎時1万5000枚を達成し、当時の世界最速機となりました。この高速性は現在であっても相当なレベルです。1972年には最初の商業オフ輪であるCompactaが開発されました。

1980年代、新聞が活版印刷からの切り替えやカラー化を検討し始めていた頃、フレキソ印刷が代替機として有力だと思われましたが、結果はオフ輪の勝利でした。1985年にロンドンの「ザ・ガーディアン」に最後の凸版輪転新聞印刷機3台を納入したのはKBAで、そのだいぶ後になって凸版輪転印刷機の運用が行き詰まり、オフ輪の受注が驚くほどくるようになりました。

そしてKBAという社名になり、2000年には水なしオフ輪のCortinaで成功を収め、それは今日でも製造されています。

 

--そのほかのテクノロジーについてお聞かせ下さい。

グリーガー 過去にはグラビア印刷も強い領域でした。1912年に、最初のグラビア輪転印刷機を開発しています。1936年には、シート給紙のグラビア印刷機を開発しました。

注目すべき点は、KBA-NotaSysという成功を収めているグループ子会社の1つを傘下に収めていることです。この会社では世界中で使用されている紙幣印刷機を製造しており、世界各地で流通している紙幣の95%がKBA-NotaSysの印刷機で印刷されています。この会社は1923年に最初のカラー紙幣の印刷機を開発し、1952年には多色刷り凹版印刷機を開発しました。

 

--競合他社のルーツも元を辿るとKBAに関わりがあるのですね。

グリーガー ケーニッヒ&バウアー社はその昔、多くの印刷技師にとって研鑽を積む場でした。中には、会社を離れて自らの会社を設立した人もいます。著名なのは当時の職工長だったアンドレアス・アルバート氏で、1861年に独立してフランケンサーラーに自らの会社を設立しました。この会社は、1850年に鋳物工場を創業していた鋳物師であるアンドレアス・ハン氏とともに、アルバート・アンド・ハン社としてスタートを切りました。

1873年にベルの鋳造に集中しようとハン氏が独立した際、この会社はアルバート・フランケンサーラーと改名しました。その後120年にわたって繁栄し、尊敬を集める印刷機メーカーとなりました。1913年に最初の巻取紙グラビア輪転印刷機、1922年に最初のオフ輪を製造しました。

1990年にケーニッヒ&バウアー社はアルバート・フランケンサーラー社を買収し、ケーニッヒ&バウアー・アルバート社、すなわちKBAとなりました。しかし今日では、KBAは公式にはケーニッヒ&バウアーAG社を意味しています。

 

ドイツの印刷機メーカーの系譜

ドイツの印刷機メーカーの系譜

 

一方、1890年頃にアンドレアス・ハン氏が息子のカール氏とともに印刷機製造に復帰しました。1894年に、アンドレアス氏が亡くなると、カール氏はハイデルベルクのヴィルヘルム・ミュラー氏に事業を売却しました。ヴィルヘルム・ミュラー氏は、その会社をシュネルプレセンファブリックAGハイデルベルクと呼びました。今日では、みなさんがよく知るハイデルベルグドルックマシネンという名称となり、世界中で広く知られる会社へとなっています。

マンローランドもまたケーニッヒ家にそのルーツがあります。1844年に、フリードリッヒ・ケーニッヒ氏の甥であるカール・アウグスト・ライヘンバッハ氏がカール・ブーツ氏と一緒に、アウクスブルクにライヘンバッハ・シェ・マシーネンファブリークを設立しました。その後1909年にはマシーネンファブリーク・アウクスブルク-ニュルンベルクAG(MAN AG)となりました。1979年に、さらにまた別のドイツの印刷機メーカーであるローランド社と合併し、マンローランド社となりました。現在は、マンローランド・ウェブ・システムズおよびマンローランド・シートフェッドの独立した2社として操業しています。

 

--現在の枚葉オフセット印刷機事業の本拠地、ラデボイルのルーツについてお聞かせ下さい。

グリーガー 1898年にドイツのドレスデンで、以前のアルバート社のフィールドエンジニアであるジョセフ・ハウス氏がパートナーのアルフレッド・スパベール氏と一緒に、ドレスナー・シュネルプレセンファブリックを創設しました。この後、ナウンドルフ(ラデボイル)に移り、1906年に同社が開発した遊星ドライブにちなんで、社名をプラネタと変更しました。1932年には、世界で最初の枚葉オフセット4色印刷機を発売しました。

プラネタの工場は1945年に完全に破壊されました。しかし1948年に、同社はラデボイルの新工場とともに再スタートを切りました。東ドイツは製品の品質についてはあまり厳格ではありませんでしたがプラネタは例外で、共産圏だけではなく西側諸国の印刷会社からも多くの支持を集め、出荷をしていました。1964年には世界で最初のユニット印刷機を紹介し、その機器構成は世界標準となりました。

1990年に東西ドイツが再統一されました。KBAは、1991年にプラネタの発行済株式の過半数を、そして1994年に全株式を買い取りました。そして、社名をKBA-Planetaと改名しました。枚葉オフセット印刷機Rapidaの製造ラインはそこに移され、現在もなお稼働しています。

 

--その間、KBA社もいろいろな組織変更があったのですか?

グリーガー KBAグループの本社は現在もヴュルツブルクにありますが、ほかにも事業所や工場があります。多くはほかの印刷機メーカーや周辺機器メーカーの買収によって得たものです。子会社の大半はドイツにありますが、オーストリア、スイス、イタリアに工場があり、また米国には大規模なセールス&サービスセンターがあります。

 

--KBAの今後についてお聞かせ下さい。

グリーガー 今日のKBAはオフ輪や枚葉オフセット印刷、フレキソ印刷において偉大な存在であり続けています。しかし、現在の世界の印刷業界において、デジタル印刷を考慮しない訳にはいきません。KBAはデジタル印刷機の主要メーカーではないので、主流のデジタル印刷機市場ではなく特定のニッチ市場向けの製品に注力しています。このような方針は良い結果をもたらしそうで、昨年には室内装飾や段ボール向けのデジタル印刷機が大きく飛躍しました。

現在のデジタル印刷のプロジェクトは、drupa2012でプロトタイプを展示しました、800㍉幅の輪転インクジェット印刷機、ロタジェットLがメインです。また、室内装飾などの産業用途で2.2㍍幅のロタジェットVLもあります。さらに、HP社と共同開発した2.8㍍幅の超大型コルゲート向けインクジェット印刷機、HP PageWide Web Press T1100Sを発表しました。

ほかには、昨年のdrupa2016でゼロックス社との共同開発によるB1判枚葉ハイブリッド印刷機VariJet106が発表されました。オフセット印刷、インクジェット印刷、ロータリースクリーン印刷、ニスコーティング、コールドフォイルおよびロータリーダイカットなどのユニットを、思いのままに構成できるモジュラー型のハイブリッド印刷機です。

 

--創業200年の価値とは何でしょうか?

グリーガー 今年9月に開催される200周年記念イベントでは、KBAの従来の主力製品だけでなく、新技術・新製品についても詳しくお知らせします。

フリードリッヒ・ケーニッヒ氏、アンドレアス・バウアー氏、その後継者やどこかで会社を設立した愛弟子たちは、今日の印刷業界に多くの影響を与えてくれています。

最初の50年を持ちこたえられる企業は稀有なものです。ましてや1世紀を超えられるのはごくわずかの会社です。KBAは2度の戦争と製造工場の破壊という災難を経てもなお、生き続けています。2世紀を経過した後もKBAが成功し、適切に先見の明を持ち続けているということは、この業界において比類なき業績と言えます。

 

日本印刷新聞 2017年7月3・10日付掲載【取材・文 小原安貴】

 

 

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