2017年11月08日

■いよいよ印刷図書館設立

 

日本印刷学会の再開にあわせ、ひとまずその事務局の一部に、印刷図書館が置かれることとなった。
『印刷』1946年8月号(本号より『印刷雑誌』から改題)には、「学会の本拠がすばらしい場所に出来た」とあり、その場所とは日本印刷産業綜合統制組合が入っていた建物で、大日本印刷が銀座営業所や活字販売所として活用していたビル(現在、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの入るDNP銀座ビルの前身)のことである。
この頃、統制組合からも300余冊の寄贈があった。
当時、印刷図書館館長への就任が内定していた川田久長氏(大日本印刷)が『印刷』誌上に寄せた文章を紹介し、図書館開設の意図をふり返ってみたい。

 

 

……「印刷は文化の魁け」とか「印刷は文化の母」とかいう文句は古くからいわれているきまり文句である。印刷と文化とが密接な関係にあることは、活版術と火薬と羅針盤の発明が西欧の文明の進展に一つのエポックをつくったという、歴史上の事実に依っても容易に承知出来るが、これほど「文化の魁け」であり、「文化の母」である印刷術でありながら、すくなくとも従来の我国に於ては、印刷術の科学的基礎研究というようなことは、殆んど一般から閑却された態であった。
勿論光化学と光学物理といったようなむずかしい学問知識が無くても、原板も仕上げられるし、刷版も出来るに相違ない。けれども本当に欠点のない製版をするばかりでなく、更に進んで新らしい方面に開拓の歩を進めるには、やはり科学的な基礎研究が十分に行われていなければ到底それを望むことはむずかしい。
そこで、真剣な技術家が印刷術の科学的な基礎研究をしようという時に、その研究意欲を一層推進せしめ、その効果を挙げさせる一つの機関として、是非とも実際に活用される印刷図書館の存在が必要である。
また同時にそれは需用者側の一般の人士に印刷なるものを理解させるための、啓蒙的な方面にも大いに利用されなければならぬ。
日本印刷学会の前会長矢野博士が在世中、夙に印刷博物館乃至は印刷図書館開設の急務を力説された所以も、全く上に述べたような理由に基くのである。
(中略)矢野博士の遺志を記念するにふさわしい、印刷人、出版人のための特色のある図書館を立派に完成したい。これを実現するには印刷界をはじめ広く関係業界の有志者の賛助を得て基金を整え、確固たる法人組織の財団を組織して図書館の経営維持を計らねばなるまい。(「印刷図書館について」、『印刷』1946年9月号、印刷学会出版部、p.29)

 

■財団法人として本格始動 1946~1947年

1946(昭和21)年当初、印刷図書館は日本印刷学会の付属施設であったが、将来の利便性を考慮すると独立した形が望ましいとの見地から、財団法人化に向けて動きだした。
まず、当時の印刷学会会長・伊東亮次氏が世話人となり、同年10月24日に銀座交詢社で相談会を開き、続いて12月9日に朝日新聞東京本社ビル会議室で、財団法人印刷図書館の設立発起人会が開かれた。
発起人は、大蔵省印刷局長の湯地謹爾郎氏はじめ、日本印刷学会、日本印刷産業綜合統制組合、東京都印刷業統制組合、日本印刷製本機械製造工業組合、日本印刷インキ工業統制組合、紙パルプ工業連合会、全国製本業統制組合、その他新聞社、日本出版協会等から推薦された80余名。
財団設立基金として、佐久間長吉郎(大日本印刷)、山田三郎太(凸版印刷)、大橋芳雄(共同印刷)、古川一郎(日本印刷産業綜合統制組合、元共同印刷)の4氏と業界団体から計150万円の寄付金を得て、1947年(昭和22)3月1日、「財団法人印刷図書館」が設立された。
初代館長には、印刷史研究家としても著名な川田久長氏が就任した。

 

■12年にわたる休館を経て再開へ 1951~1964年

 

財団法人として新たに歩みだしたものの、4年後の1951(昭和26)年12月には建物の都合により立退くことになり、図書館を移設する場所がみつからなかったため休館することになった。休館中の蔵書は、印刷学会出版部倉庫と東京書籍各倉庫に分散保管した。
再開のめどが立たないまま十数年が過ぎた1963(昭和38)年、東京都中央区新富町(現在地)の旧東京印刷同業組合の建物が建て替えられ、日本印刷会館ビルが落成したのを機に、ようやく印刷図書館の再開が検討された。
これを真っ先に牽引し、印刷図書館の存在意義とその使命の重要性を唱え、自ら再開館準備資金150万円を寄付したのが、佐久間長吉郎氏であった。佐久間氏は当時、大日本印刷の社長を退き、印刷同友会の顧問に就任していたことから、まず同友会の役員に呼びかけ、今後の図書館の在り方について何度も会合を重ね協議した。また佐久間氏の提唱により、日本印刷工業会会長の大橋貞雄氏はじめ山田三郎太氏、東京都印刷工業組合理事長の浅野剛氏などの理解も得ることができ、1964(昭和39)年4月1日、12年ぶりに再び開館することができた。

 

 

■印刷文化の向上とその助成事業

1964(昭和39)年の再開当時、基本財産はわずか30万円だったが、その後、文化振興基金として、写研から故石井茂吉氏の遺贈による1200万円(1964年)、大日本インキ化学工業(現DIC)川村勝己氏から1500万円(1975、76年)、新村印刷・新村長次郎氏より1000万円(1976年)の寄付を得た。さらに、篤志家の方々、印刷会社および関連会社、関連団体からの賛助基金支援により今日まで維持運営しており、さまざまな公益事業に取り組むことができた。
印刷図書館では、専門図書館の運営以外にも、印刷に関する各種講演会などを行ってきた。1967(昭和42)年には『ヨーロッパ印刷事情視察報告会』を開き、海外の印刷事情をいち早く国内に報告、また、1975(昭和50)年には、日本の近代活字の礎を築いた本木昌造氏の『歿後100年記念講演会』を開催するなど、印刷技術の向上発展と印刷文化の普及に努めてきた。
また、1966年から1990(昭和41~平成2)年の長きにわたり、「印刷史談会」を開催した。これは、印刷界において、明治・大正・昭和と激動の時代を生きてきた業界の先輩古老を招いて体験談を聞き、印刷技術史・文化史を個人史の側面から記録する座談会である。
この時の模様は肉声が残されており、現在も聞くことができる。
また、1964年から1974(昭和39~49)年にかけては、全国の高校印刷科を優秀な成績で卒業した生徒に対して奨励金を授与し、人材の育成にも努めた。

 

■印刷文化財保存運動

戦後の日本の印刷産業界は、欧米の新技術の吸収に努め、さらに進む技術革新に対応すべく日夜努力を重ね、急速な進歩を遂げてきた。
しかしその一方で、先人が残した印刷技術・文化の遺産ともいえる印刷史の立場からみて、史料的価値のある印刷物や歴史的に貴重な印刷文化財を保存することには、あまり積極的ではなかった。
そうした現状を憂い、保存並びに収集に取り組もうとしたのが、当時の印刷図書館の運営委員たちだった。まず、1969(昭和44)年に運営委員長・市村道徳氏(同美印刷)が、「印刷文化財の収集と保存」について、印刷博物館設立の必要性を提言した。翌70年には印刷文化財保存委員会の設立準備が進められ、専門委員会を重ねた。また、1978(昭和53)年には、それまでの活動をまとめた『印刷文化財保存運動の記録--印刷博物館へのアプローチ』を出版し、多くの方に呼びかけたのである。
その間、日本印刷工業会はじめ全日本印刷工業組合連合会等、業界団体の協力を得て、運動は全国に広められた。
その結果、明治時代の煙草外函やカード類、石版印刷によるレトロポスターなど、全国から貴重な印刷資料が多数寄贈された。
1969年以降、印刷文化財の保存と収集、博物館設立のための資金募集に努め、各方面より資料および寄付金が寄せられたが、活動から20年が経った1981(昭和56)年頃になると、情勢も変わって活動資金が乏しくなり、印刷業界も不況になったため、十分な活動ができなくなった。なにより、文化財保存会設立代表として、この活動を熱心に牽引してきた澤村嘉一氏(凸版印刷)と新村長次郎氏、運営委員長の市村道徳氏が亡くなった。
さらに、図書館長として20年間事務方を取りまとめてきた澤田巳之助氏が病気療養のため1982(昭和57)年に辞任し、事務局不在の状態となる。
そして、ついに1992(平成4)年には印刷文化財活動資金を精算、保存運動は事実上解散となった。

 

■レトロポスターの展示と貸出

 

印刷文化財保存運動のおり、明治・大正・昭和初期のポスターが寄贈され、現在120余点を所蔵している。主に画家の野村廣太郎氏から110余点(1984年)、谷本正氏(開成印刷)からは5点(1980、87年)を寄贈いただいた。数は少ないものの谷本コレクションのなかには、日本のポスター史を語る上で欠かせない『赤玉ポートワイン』が含まれ、現在も私たちを魅了しつづけている。
これらのレトロポスターは、1986(昭和61)年の「野村コレクション 明治大正昭和初期名作ポスター展」をはじめ、横浜海洋科学博物館、石川県立歴史博物館、姫路市立美術館などの展示会、印刷業界団体の各種イベントなどに貸出をしてきた。
また、2007(平成19)年には、印刷図書館創立60周年記念事業の一環として、主なレトロポスター64点の画像を収録したCD-ROMを製作し、関係各位へ頒布した。
1999(平成11)年になると、事務局体制が一新したのを機に、デジタル時代に対応すべく、新たな取り組みに着手した。
まず、2001(平成13)年にホームページを開設。翌2002年には蔵書管理システムを導入し、独自の分類法に基づき収蔵資料のデータベース化に取り組んだ。
2003(平成15)年には、インターネットを通して2万冊を超える主要蔵書をデータ公開した。続いて2007(平成19)年には、レトロポスターおよび印刷文化財資料を画像データ化し、ホームページで一般に公開、蔵書検索も可能となった。

 

 

2007年には、1982(昭和57)年以来不在だった館長職に畠山惇氏が就任(~2011年)し、積極的に事業活動を展開した。
講演会「drupa2008帰朝報告会」(日本印刷産業連合会協賛、2008年)の開催、冊子『世界の最新印刷技術2008-2009』(2009年)および『印刷経営の原点 社会と文化--世界の最新印刷レポート2009-2010』(2010年)を刊行。
また、文化講演会として脳科学者の養老孟司氏による『こころとからだ』(2009年)、元NHKアナウンサー山根基世氏の『もう一度考えよう、ことばの力』(2010年)、江戸東京博物館館長・竹内誠による『江戸に学ぶ出版文化』(2010年)を開催するなど、印刷文化および活字文化の振興に努めてきた。
2012(平成24)年4月には、公益法人制度改革により、財団法人から一般財団法人へと移行。
新しい定款にも、「この法人は、印刷技術の進歩発展を通して、印刷文化に貢献することを目的とする」と明記するなど、諸先輩方の志を受け継ぎ、今日に至っている。

 

 

(出典:財団設立70周年記念誌『印刷図書館コレクション』~印刷図書館沿革~)

 

印刷図書館の歩み(上)

 

 

 

 

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