2017年11月08日

印刷技術は中国を中心とした東アジアで誕生し、やがて大陸を横断してヨーロッパにも伝わったとされる。奈良時代の日本で、764年から770年にかけて製作され、今も数万巻が法隆寺に残る「百万塔陀羅尼」は、印刷された年代が明確かつ現存する印刷物としては、世界最古ともいわれている。
一方、15世紀半ばにドイツのヨハネス・グーテンベルクによって発明された金属活字による活版印刷術は、その後500年以上にわたり、文字印刷の中心を担いつづけた。
そして20世紀後半、コンピュータを用いて印刷原稿・版下を製作するDTP(Desktop Publishing)が誕生し、それまでの印刷の常識を覆してしまった。一文字ずつ並べられていた活字は姿を消し、すべてはディスプレイに映し出される「データ」となった。
デジタルネットワーク時代が到来した現在、Web空間にはさまざまな「コンテンツ」が氾濫し、紙もインキも必要としない「電子書籍」の普及が急速に進んでいる。新時代の印刷は、アナログからデジタルへの大きな技術革新の波にさらされるとともに、その応用範囲は多方面に拡大し、もはや印刷は、従来のイメージでは捉えられなくなってきた。
「印刷」とは何か。これから「印刷」はどうなっていくのか。その答えの手掛かりは、どこにあるのか。さまざまな文献や資料をとおして、印刷の文化や歴史、そして最新動向を知ることの必要性が、これまで以上に高まっている。

 

■端緒を開いた矢野道也博士 1928~38年

印刷図書館設立が提唱されたのは、今から80年も前のことである。当時の日本は、1937(昭和12)年に日中戦争が勃発し、翌年には国家総動員法が公布されるなど、世の中は戦争一色だった。その頃、日本の印刷技術の発展向上を切望し、学びの場をつくろうとしたのが、欧米の印刷事情を視察した工学博士・内閣印刷局の矢野道也氏だった。
 
矢野道也氏は1928(昭和3)年に設立された日本印刷学会の初代会長を務めた人物でもあり、1938(昭和13)年に刊行された『日本印刷大観』(東京印刷同業組合25周年記念誌)では、「印刷図書館と博物館」と題する一文で、その必要性を次のように説いている。

……日本の印刷界は、本木氏以後、僅々六七十年を閲せるに過ぎず。然るに、今日数百年の歴史を有する欧米のそれに劣らざる進歩発達をなしたのは、一に先輩諸氏の努力奮闘研鑽の賜物で、寔に敬服の外なく、(中略)/併し、それはそれとして、今少しく本邦印刷界のたどり来った足跡を考察する時、其処に果して本邦独自の何物があったであろう?凡ては外国の模倣であり、受次ぎであった。外国の機械を用い、或はこれを模倣し、外国のインキを使い、外国の方法を伝承し、一として本邦独自のものがなかったと云ってよい。(中略)/最早、欧米依存の迷夢より醒め、これがオリジナリティを確立すると共に、ひいては世界印刷界をもリードするの覚悟がなければならない。(中略)一本立ちになるには一本立ちになる準備が必要だ。而してその原動力となるべきものは、完全なる印刷の参考図書館であり、印刷博物館である。欧米を旅行して、何時も感ずることだが、何れの国へ行っても、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、パリなど相当の都会には印刷の参考図書館なり、博物館なりがある。(中略)印刷術が今日まで如何なる歩みをし、現在どんな歩みをしているか、どんな姿をしているか、一目瞭然と判るようになって居り、然も索引が完備しているので、何を探すにも便利である。/今後、他に依存せず、日本人のオリジナリティを発揮し、日本人としての地盤を築き上げ、より以上の進歩を望み、正しい歩みをなさんとしても、大なり小なり、斯の如き機関を持たぬならば、それは恰も羅針盤を持たずして大洋を航海するようなもので、危険此上もない次第である。(中略)
右の印刷図書館と印刷博物館は、謂わば鳥の両翼のようなもので、これなくして、その国の印刷の進歩発達向上は望めない。(中略)出来れば印刷研究所の如き、新しいものの研究機関が設けられれば、それこそ鬼に金棒というべきであろう。(中略)/この三つの建設が最大の急務であると思う。(『日本印刷大観』東京印刷同業組合、1938年、pp.21-24)

 

■印刷図書館設立への布石 1940~46年

1940(昭和15)年頃から、日本印刷学会が中心となり、印刷図書館の設立に向けた資料収集がはじまった。最初に森本武夫氏(元日本印刷学校校長)が、ドイツ・ライプチヒ印刷専門学校留学中に集めた印刷関係の洋書120余冊を寄贈、続いて小倉正照氏(内閣印刷局)の旧蔵書100余冊、三谷幸吉氏(労働運動家・印刷史家)が蒐集した明治初期の活版印刷資料、青山督太郎氏(青山進行堂)からは印刷関係の各種雑誌合本が寄贈された。

このなかには、1891(明治24)年創刊以来の『印刷雑誌』バックナンバーをはじめ、グーテンベルクの原葉『カトリコン』、1873(明治6)年刊行の英和辞書『和訳英語聯珠』など、稀覯本に属する貴重な資料が含まれる。

しかし、戦時下の日本は図書館開設にはほど遠い情勢だった。都心への空襲の可能性も考慮し、早々に蔵書の保管を王子の東京書籍・東書文庫に依頼したこともあり、幸いにもこれらは戦火を免れ、後に印刷図書館の蔵書の基礎となった。

戦局がますます悪化していくなか、日本印刷学会は1945(昭和20)年4月の幹事会を最後に休止状態に入った。印刷局や芝浦の工業専門学校をはじめ、都内の印刷会社の多くが空襲の被害により焼失し、矢野道也会長も東京を離れる。そして8月の終戦を迎えた。しかし、敗戦後の混乱状態のなかでも、翌年には再建と復興のきざしが見えはじめていた。
1946(昭和21)年6月11日、銀座の日本印刷綜合統制組合の会議室で、佐久間長吉郎(大日本印刷)、今井直一(三省堂)、光村利之(光村原色版印刷所)、山上謙一(大蔵省印刷局)、柿沼保次(山本インキ)、馬渡務(印刷学会出版部)の6氏によって日本印刷学会の理事会がもたれ、学会再建後の事業計画が協議されるとともに、「印刷図書館の設立」が決定された。
そして6月27日、銀座交詢社で日本印刷学会の総会が開かれ、新会長・伊東亮次氏のもと、図書館設立に向けて具体的な協議に入った。

この総会で名誉会長に推された矢野道也氏だったが、これに先立つ6月23日、印刷図書館の設立決定を見届けたかのように、移住先の福岡県で逝去していた。

 

(出典:財団設立70周年記念誌『印刷図書館コレクション』~印刷図書館沿革~)

 

 

印刷図書館の歩み(下)

 

 

 

 

PAGE TOP