2017年02月28日

PRINT・WORKSHOP・21(畠山惇代表幹事)は2月17日午前11時半から、東京・神楽坂の日本出版クラブ会館に山根折形(おりがた)礼法の宗主・山根一城氏を迎え「武家の作法 美と品格」をテーマに第7回ランチ勉強会を開いた。27人が参加し、贈り物を和紙で包むという武家の礼法に起源をもち、600年以上の歴史のある「折形」の文化に触れた。また傘寿を迎えた山口政廣・島袋徹・畠山の3氏に花束を贈呈し、祝福した。

 

左から島袋徹、山口政廣、畠山惇の各氏

左から島袋徹、山口政廣、畠山惇の各氏

 

開会にあたって畠山代表幹事は「平成24年11月にこの勉強会を始め第7回を迎える。グローバルな視点から日本文化を捉えようという会で、今日の折形の講演はとくにふさわしいものである」とあいさつした。

 

畠山惇代表幹事

畠山惇代表幹事


 
講師の山根氏は、BMWジャパンのマーケティング部長、日本コカ・コーラ社広報担当副社長など外資系企業の幹部として国内外でのビジネス経験を積んだ。現在は危機管理広報のコンサルタントとして大手企業やビジネスマンを指導している。「PS版の輸出を行っていた」こともあるなど業界との縁も深い。礼法研究家・美学者であった山根章弘氏の次男・後継者として2003年から折形の伝承・普及活動に取り組んでいる。
 
10分ほどのビデオで折形礼法の基本・歴史を初めに紹介して講演に入り、礼のこころを和紙で包み手渡すという折形の神髄を次のように伝えた。和紙については檀紙、奉書など実物を示して使い分けを説明した。

 

贈る相手に見えないところで礼を尽くす

 

山根一城講師

山根一城講師


 
折形とは日本で古来行われてきた礼法の一つである。贈るものを目的別に和紙で包む方式と、儀式などに用いる装飾折紙を総称して折形礼法と呼ぶ。歴史は鎌倉時代にまでさかのぼり、室町時代に武家の礼法の一部として確立された。
 
室町幕府・三代将軍足利義満は、武家礼法の制定を高家などに指示し、折形を含む殿中の礼法(「内の礼法」)を御所奉行であり政所職でもあった伊勢家に任せ、弓馬礼法(「外の礼法」)を小笠原家に任せた。
 
それが折形だが、この礼法は、将軍家と直接接見することできる大名と旗本クラスに限って行われ、秘伝、家伝として伝えられ、門外不出のものとして武家の権威を保った。
 
江戸時代に入ると、武家礼法とともに折形も和紙の普及に伴い、一般庶民の間に急速に広まり、一般的な教養となった。さまざまな折形が考案され、多くの流派も派生し礼法も混乱していった。伊勢家の末裔で江戸時代もっともすぐれた礼法学者であった伊勢貞丈(さだたけ)は、生涯をかけて正統な武家故実を多くの著書に託して後世に残した。『包みの記』や『貞丈(ていじょう)雑記』は代表作である。原則を無視した礼法や折形が蔓延したことを懸念し、門外不出であった将軍家の礼法を公表した。
 
第二次世界大戦までは義務教育の一環として作法の教科書の中で折形は教えられていたが、終戦とともに消失した。いまでは熨斗紙、祝儀袋や結納品などにその姿の一部が残っている。 折紙が普及し、折形はほとんど消滅してしまった。そのため礼法研究家であった父・山根章弘が「折形(おりがた)」という呼称で折形礼法を定義し直し百科事典などで折形文化の普及に努めた。
 
折形では一目見て贈り物が何か中身がわかるように中身の一部を露出させて包む。また贈り物をより引き立たせるため包み方は詳細に決められている。茶・薬・金銭などこぼれるものは、露出させず、包み方で中身がわかるように表現する。新茶包みでは和紙を細く重ねて折って緑の色紙を添え瑞々しい新茶の芽を表す。のし鮑包みでは、鮑をのしてつくった干物であるのし鮑は、長寿の縁起物とされ伊勢神宮に2000年前から奉納され続けている。のしやのし袋についている飾りはのし鮑包みをデザイン化したものである。
 
事細かに定められた包み方やひものかけ方は、陰陽五行や神道に基づく吉凶の原則が基礎にある。
葬儀などの弔事以外では向かって左から折り始めて、右側が上になるように右前に折るのが折形の基本になる。
天地の重ね方は、慶事では先に天から折ってから、地を折り重ねる。弔事では地から折り上げてから、天を折り下げる。
皺のある檀紙、厚手の奉書(引き合わせ)、薄手の奉書(杉原)、のり入れ奉書、半紙、懐紙など相手に応じて紙も使い分ける。
 
折形で重要なことは、複雑な形や技ではなく、贈る相手に見えないところで礼を尽くすことである。自分の時間を惜しみなく相手のために使うこと、相手を思う気持ちを包んで渡すことで礼の心を伝えることである。
 

 
 

 

 

 

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