2016年03月01日

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盛庄吉東京都印刷工業組合元副理事長・慶昌堂印刷㈱社長の旭日双光章受章記念祝賀会が2月24日、東京・文京区関口のホテル椿山荘東京で開かれ、約150人の参会者が同氏の栄誉を称えた。

 

祝賀会は利根川英二東印工組文京支部長のことばで開会。

 

発起人を代表して島村博之東印工組理事長は「平成4年に東印工組の理事に就任して以来、長年にわたり、東印工組、全印工連の役員を歴任し、多くの功績を残した。平成6年から4年間、常務理事として出版印刷委員会委員長を務めた。10年度からの4年間、東印工組副理事長として労務・環境委員会を所管し、全印工連では常務理事として労務・環境委員会の委員長を務めた。労働省の労働時間短縮自主点検事業に取り組まれ、組合員の年間所定労働時間の短縮に向けて、制度設計と就業規則の整備・改善を推進した。なかでも労働条件制度整備推進マニュアルといった啓発資料を作成し、全国47都道府県の印刷工業組合の講習会と個別指導を行ったことは大きな功績だった。この資料と並行して東印工組独自にデジタルメディアでモデル就業規則を作成し、組合員が自社で編集できるようにするという成果を上げた。また、厳しい状況下にあった東京印刷工業厚生年金基金の理事長に9年間就任し、見事な幕引き役を務めた。長きにわたるご苦労とご指導に対し心から感謝申し上げる」とあいさつした。

 
 

来賓を代表して文京区長の成澤廣修、光文社会長・小石川法人会会長の高橋基陽、東印工組顧問(元理事長)の中村守利の3氏が祝辞を述べた。

 

このうち成澤氏は「文京区では小石川法人会、東京商工会議所文京支部などの役員を歴任した。とくに労働条件の改善や労働時間短縮に向けてのさまざな取り組みが今回の叙勲の栄に浴する直接的な功績になった。働き方の見直しなくして業界の発展はない。若い世帯が雇用を求めるときに印刷業界がそれを獲得できるかどうかは働き方の見直しに関係してくる。労働条件が改善されないことには、業界の発展はない。その意味でも盛さんの取り組んできたことは、業界の発展に寄与している」と述べた。

 

高橋氏は、慶昌堂と光文社との長年の付き合い、共にいち早く書籍の電子化に取り組んできたことを紹介。一方、「小石川法人会では、副会長、組織委員長として会員増強の先頭に立ち、地域貢献にも汗を流していただいている」と称えた。

 

中村氏は「平成10年から4年間、パートナーとして活躍していただいた。発端は、入院中の盛さんを訪ね、返事もいただかないまま、副理事長をお願いしたことだった。この人でなければならないと思っていた。労務委員会と環境委員会という異質の委員会を同時にお願いしようという無茶なお願いだった。ISOやCSRという課題に取り組む基本編をつくっていただいたと感じ入っている」と述べた。

 
 

島村理事長による東印工組からの記念品贈呈、戸部美代子元文京支部長による文京支部からの花束贈呈の後、盛氏は過褒なことばをいただいたと謝辞を述べてから、会社のこと、自身のことについて触れてあいさつした。

 

 

「和を以て尊しとなす」

 

DSCN3808 盛夫妻と区長ら

あいさつする盛庄吉夫妻

「慶昌堂印刷は父の盛英信が始めた。父は奄美大島の喜界島の出身で明治44年に生まれた。喜界島はサンゴ礁の隆起の島で土壌が悪く、作物がほとんどできない。主な産業は、サトウキビの栽培と大島紬を紡ぐことである。父は船乗りになろうと船に乗ったものの、船酔いがひどく、仕方なく、先輩を頼って東京に出てきた。その先輩は、現在の三晃印刷の山元悟会長の父で当時、鉛版業を営んでいた。そこで修行し、昭和12年に正英堂鉛版所を始め、終戦近くまで続けたが、空襲で工場が焼けてしまった。

 

昭和22年に心機一転、印刷を専門に行う会社としてスタートした。活版の組版から印刷・製本までやっていこうと頑張った。28年にいまの本社のある場所に活輪工場を建設した。週刊誌、月刊誌、コミックを印刷した。30年ごろから週刊誌ブームが起きた。少年サンデーや少年マガジンは活版輪転で刷っていた。そのために活輪を増強した。ピーク時には活輪が8台あった。

 

商売は順調で仲間に押されて、父は41年から文京支部の支部長を仰せつかった。42年に腎盂炎を起こし急死した。私はまだ22歳で早稲田の学生だった。
活輪の仕事をいただいていた縁で、43年に大学を卒業し、凸版印刷で修行をすることとなった。4年半お世話になった。そこでのオフセットの勉強がいまの仕事のベースになっている。ありがたいと思っている。

 

結核で隔離されていた部屋に中村会長が見えて副理事長をやれということだった。入院期間が分からなかったのでいい返事はできなかった。
結核を直すためにカラオケを始めた。歌ってもマイクに声が通らない。腹式呼吸をしっかりやると声が出るようになるとのことで、発声練習とともに腹式呼吸を習った。声が出るようになったら健康もよくなった。

 

申年生まれで72歳。時節時節でいろいろな方にお世話になった。そのおかげで現在の私がある。改めて和を以て尊しとなすということを思い起こす」

 
 

続いて浅野健東印工組参与の発声で乾杯し、祝宴に入った。

 

 

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